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広島高等裁判所 昭和45年(う)311号 判決 1973年3月29日

本籍

広島市広瀬町一四七番地

住居

同市十日市町二丁目九番一九号太陽ビル内法樹寺

学生(中央仏教学院)

前広敏皎こと、前広峰稔こと

久本峰稔

昭和二年一二月五日生

本籍

広島市江波東二丁目五五番地の一

住居

同市舟入幸町一二番二三号 河口荘内

会社員

笹木義徳

昭和七年七月一五日生

右久本峰稔に対する変造有印文書行使、詐欺、銃砲刀剣類所得等取締法違反、火薬類取締法違反、所得税法違反、偽証教唆、笹木義徳に対する偽証各被告事件について、昭和四五年一〇月二七日広島地方裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人からそれぞれ適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は検察官菊池慎吾出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用中、証人石丸ヒサ子に支給した分は被告人笹木義徳の負担とし、その余は全部被告人久本峰稔の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、被告人久本峰稔の弁護人平野利、同関之各作成名義の各控訴趣意書、右弁護人両名共同作成名義の控訴趣意補充書、および被告人笹木義徳の弁護人伊藤仁、同平野利各作成名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これらに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

被告人久本の弁護人平野利の論旨等二点について

所論は、原判決は、被告人久本について、原判示第一の一、(二)において、同被告人が昭和四〇年度における総所得は金二六二八万二六六三円であるのに、その所得の一部を架空名義の預金として秘匿するなどの不正行為をなしたうえ、所定の確定申告書を提出しないで同年度の所得税金一三二七万二〇〇円を逋脱したとの事実を認定し、所得税法二三八条一項を適用したけれども、右適条は原判決の認定した「所得の一部を架空名義の預金として秘匿するなどの不正行為をなした」部分に限つて正当であり、不正行為を伴なわない単純不申告の部分にまで同条を拡張適用したことは明らかに誤りであり、単純不申告の部分は同法二四一条に該当するに過ぎないものである旨主張する。

しかし、原判決が認定した原判示第一の一、(二)の事実によれば、被告人久本は遊技場業、料理飲食業等を経営し、昭和四〇年度の所得金額が金二六二八万二六六三円であつたのに、これに対する所得税(金一三二七万二〇〇円)を不正に免れようと企て、右所得の一部を架空名義の預金として秘匿するなどの不正行為をなし、申告期限内に全然申告をしないで右金一三二七万二〇〇円の所得税を納付せず、これを免れたというのである。してみると、同被告人が架空名義の預金として秘匿した部分以外の所得についての不申告は、所論にいうように不正行為を伴なわない単純な不申告ではなく、右昭和四〇年度の所得金額に対する所得税を免れようとして、所得の一部を架空名義の預金として秘匿するなどの不正行為として、右不正行為を利用する意図をもつてなされた計画的な不申告であつて、右不正行為と密接不可分な関係にあるものというべく、右不正行為と所得不申告とはこれを所論のようにそれぞれ別個のものとしてとらえるべきではなく、不可分なものとして包括して考察すべきものであるから、同被告人の右原判示第一の一、(二)の所為は、所得の全部につき、所得税法二三八条一項にいわゆる偽りその他不正の行為により所得税を免れたものといわなければならない。従つて、これと同一見解のもとに同被告人の右所為に対し右法条を適用した原判決は正当であつて、原判決には所論のような法令適用の誤りは認められない。論旨は理由がない。

被告人久本の弁護人平野利の論旨第一点および同関之の論旨について、

所論はいずれも、要するに、被告人久本を懲役一年六月および罰金三〇〇万円の実刑に処し、懲役刑についても刑の執行を猶予しなかつた原判決の量刑は重きに失し不当であり、同被告人に対しては懲役刑の執行を猶予するのが相当であるというのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討するに、同被告人の原判示第一の各犯行の動機、態様(所論は、原判示第一の四の変造有印私文書行使の事実につき、同被告人が変造私文書((変造定期預金証書))を斑石猛に交付したのは、原判決の認定するように、工事代金の支払いの担保として交付したものではない旨種々理由を挙げて主張するけれども、原判決挙示の関係各証拠によれば、同被告人において斑石猛に原判示の変造定期預金証書を工事代金の支払いの担保として交付して行使した事実はこれを優に肯認することができ、記録を調査し、当審における事実取調の結果に徴しても、この点に関する原判決の事実認定に誤りがあることを疑わしめるに足りる証拠はなく、事実誤認の違法は認められない。)、罪質はいずれもまことに悪質であり、ことに、原判示第一の五の偽証教唆の犯行は、同被告人において自己に対する所得税法違反被告事件の罪責を免れるため、自己の使用人である相被告人笹木を教唆し、事実無根の虚偽の証言をさせたもので、国家の審判権の適正な運用を阻害する行為であつて、自己の利益のためにはいかなる手段もあえて辞さないという同被告人の高度の反社会性の現われで、犯情極めて悪質であること、その他同被告人の前科(同被告人には原判示第一の三の罪と同種の事犯である銃砲刀剣類等所持取締法違反の罪により、懲役刑(但し執行猶予付)に一回、罰金刑に一回それぞれ処せられた前科がある。)、性行、経歴等記録にあらわれた諸般の情状に徴すると、同被告人においてその後前非を悔い、原判示第一の一、(二)の逋脱した所得税を全額完納し、また、同二の保険金詐欺の被害も全額弁償し、改峻の情が認められ、さらには更正の意欲もうかがわれること等肯認し得る所論の同被告人に有利な諸事情をすべて十分考慮に入れても、同被告人の原判示第一の各犯行は刑の執行を猶予すべき案件とはとうてい認めがたく、同被告人に対する原判決の量刑はけだしやむを得ないところであり、重きに失するとは考えられない。論旨はいずれも理由がない。

被告人笹木の弁護人伊藤仁、同平野利の各論旨について

所論は、いずれも、被告人笹木を懲役四月の実刑に処した原判決の量刑は重きに失し不当であり、同被告人に対しては刑の執行を猶予されたいというのである。

被告人笹木の弁護人伊藤仁、同平野利の各論旨について

所論は、いずれも、被告人笹木を懲役四月の実刑に処した原判決の量刑は重きに失し不当であり、同被告人に対しては刑の執行を猶予されたいというのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討するに、同被告人の原判示第二の犯行は、同被告人が相被告人久本から教唆され、その結果、原裁判所において審理中であつた同人に対する所得税法違反被告事件の証人として宣誓のうえ事実無根の虚偽の証言をした事案であり、国家の審判権の適正な運用を阻害する行為であつて、その動機、態様、罪質は悪質であること、その他被告人笹木の前科、性行、経歴等に徴すると、同被告人と本件教唆者である相被告人久本との当時の関係(被使用人と雇主との関係)等肯認し得る被告人笹木に有利に斟酌すべき諸事情を十分考慮しても、同被告人の本件偽証の犯行は刑の執行を猶予すべき案件とはとうてい認められず、同被告人を懲役四月の実刑に処した原判決の量刑はけだしやむを得ないものというべく、重きに失するとは考えられない。論旨はいずれも理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に則り本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用の負担については同法一八一条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗田正 裁判官 久安弘一 裁判官 片岡聡)

昭和四五年(う)第三一一号

控訴職意書

詐欺等 被告人 久本峰稔

右の者に対する頭書被告事件について左記の控訴趣意書を提出する。

昭和四六年一月四日

弁護人 平野利

広島高等裁判所

刑事第四部 御中

第一点 原判決は刑の量定が不当である。

原判決は被告人に対して懲役一年六月(未決勾留三十日算入)罰金参百万円を科し、懲役刑について執行猶予の恩典を附けなかつた。

原判決は刑の執行を猶予しない理由として「前掲の罪となるべき事実はいずれも悪質であるといわざるを得ず殊に自己の利害のためには国家の審判権の適正な運用を阻害することもいとわないという態度は強い非難に値するものというべく、到底刑の執行を猶予することはできないない」と説明されている。

然し乍ら本件の犯行を悪質であると認定するのは大きな錯誤である。抑々第一回起訴(昭和四一年九月一二日起訴)の変造有印私文書行使の事件については捜査官が誤つた予断の下に被告人を逮捕勾留し不当の取調を為したので被告人が真実を主張し反抗したことが原因で感情的の措置を受けたのであり爾来被告人は検査官と感情対立したその他の犯罪事実についても個々に検討すれば悪質事犯でないことが明白となるのである。

仍て各訴因について個別に罪状を検討する。

(一) 判示第一の一の(一)及(二)について

被告人が昭和三九年度及び四〇年度において所得の申告を為さず多額の脱税をしたことは国家の徴税を妨げ国民の納税義務に背いた所為で一応は悪質の議を受けるのも止む得ない。

被告人の不申告については原判決指摘の如く平素から納税についての誠意を欠いていたことが窺われるが之は被告人の環境の影響から生じたもので、衛生業、パチンコ営業、キヤバレー営業等の低級職業層においては納税申告しない悪風習があり、それに染つて納税義務観念が稀薄であつた。又架空名義使用の預金は金融機関の示唆によつてやつたものである。悪質な智能犯の所為と認定するのは行き過ぎの見解である。殊に被告人は本件の昭和三九年度四〇年度の逋脱税額のみならず昭和三六年度乃至三八年度の逋脱税額も完納したことを考慮すれば執行猶予に適しないと判断することは苛酷に失する。

(二) 判示第一の二について

保険金詐欺も一応は悪質と観察せられるが、之は共犯者岩田和之が主役となつたもので、上司の立場の被告人が之を制止しなかつた責任は明白であるが、金額も二十三万円余の小額で直ちに被害弁償しているから被告人が検察官と感情対立がなければ起訴猶予となる案件であり裁判においては執行猶予が妥当と思料する。

(三) 判示第一の三について

挙銃並に実包所持の所為は治安確保の見地から処罰を必要とする。然し本件は関係者の供述によつて明白である通り被告人の自主的犯行でなく、相被告人岩田和之から執拗に懇願され止むなく購入した受身の犯行であり、しかも物件を使用する意図なく郷里の山中に埋蔵したのであるから被告人の自白がなければ犯行は発見しなかつたのである。然るに被告人は過去を清算して立ち直るため進んで隠匿場所を申立てたので自省に該当する。従つて悪質事犯ではなく罰金乃至は執行猶予附懲役刑を以て処罰することが公正妥当である。

(四) 判示第一の四について

この変造有印私文書行使の犯行は捜査官が私文書変造の本犯は被告人であるとの予断の下に逋捕勾留して強く追及したので被告人は憤慨して身に覚えないことを主張し検察官と感情の対立を生じた。取調の結果千五百円の定期預金証書を千五百万円の定期預金証書に変造したのは西原喜代美であることが明白となつたに拘らず之を逮捕することなく又起訴もしないで放任し、寧ろ西原から変造私文書を行使され三百万円の被害を受けた被告人のみを起訴したことは公正の検察権行使でないから裁判において情状として考慮すべきものである。

なお被告人が変造私文書を斑石猛に交付したのは原判決認定の如く「右工事代金の支払いの担保として交付して行使した」ものではなく、斑石から工事代金支払の請求を受けた際に西原から近日中三百万円入金の見込のあつた被告人は暫時猶予を乞うため斑石を安心させ又一方西原の支払を督促する方便として右証書を封筒に厳封して預けたことは関係者の供述によつて明白である。従つて悪質犯罪でなく又第一審において工事代金を完済したのであるから執行猶予相当の案件である。

(五) 判示第一の五について

偽証教唆について原判決は「殊に自己の利害のためには国家の審判権の適正な運用を阻害することもいとわないという態度は強い非難に値するものというべく」と説示し悪質犯罪と認定されたが若干の異議がある第一審の弁論において本弁護人の主張したように被告人は笹木義徳の母親を経て街の暗金融業者から合計二千五百万円を借用した事実が存在するので第一審の審理においても右債務の存在を主張した。然し債権者がもぐり金融業者であるため証人として出廷することに応じないので止むなく笹木義徳に一部虚構の事実を含む証言を依頼した。但し全部が虚構でなく債務の存在は真実である。此等の事情を酌量すれば原判決の非難は行き過ぎと云わざるを得ない。この犯罪についても執行猶予の余地がある。

以上縷説した通り本件は訴因の数も多く又一回悪質と観察される面があるけれども綿密に検討すれば悪質と非難される程度のものではない。被告人の改悛の情あることは原判決の認める所であり、又被告人は社会に貢献する能力ある人物である。

これらを綜合して判断すれば原判決が懲役刑につき執行猶予を附けなかつたことは量刑重きに失し破棄すべきものである。

第二点 原判決は法令の適用の誤があり、その誤は明かに判決に影響を及ぼすものである。

原判決は判示第一の一の(二)において昭和四〇年度における総所得は金二六二八万二六六三円であり、その所得の一部を架空名義の預金として秘匿するなどの不正行為をなした上所定の確定申告書を提出しないで同年度の所得税額金一三二七万二〇〇円を逋脱したとの事実を認定し、所得税法第二三八条第一項を適用した。

然し乍ら右の適条は原判決の認定した「同年度の所得の一部を架空名義の預金として秘匿するなどの不正行為をなした」部分に限つて正当であり、不正行為をなさない単純不申告の部分にまで同条を拡張適用したことは明らかに誤りである。単純不申告の部分は同法第二四一条に該当するものである。原判決は第一審における本弁護人の主張に対し「前掲証拠によれば被告人久本は不断から税金を納める者は馬鹿であるなどとうそぶき、取引に関する帖簿も記載せず、偶々記載した帖簿についても長期間保存しない方針をとり収入票についても破棄するよう指示したこともある等の事実が認められるのであり、これらの事実と税金を免れるために偽名又は第三者名義で収入金を預金していた事実及び申告期限に全然申告しなかつたという事実を併せ考えたときは行為全体を包括的にとらえ、所得の全体につき不正な方法により税金を免れたものと評価するのが相当である」との見解で之を排斥した。

然れども脱税の目的を有していても不正行為を伴わない限りは旧法第六九条第一項(現行法第二三八条第一項相当)の罪は成立しないという最高裁判所判例(昭和三三年(あ)第一五六九号、同三八年二月一二日第三小法廷判決)がある。原判決摘示の如き脱税意固が明白であつても不正行為を伴わない単純不申告の部分(四〇年度総所得の三分の二弱)については同法第二四一条を適用すべきであり、それを以て取締りの目的を達するのである。

原判決は前記のように「偽名又は第三者名義で収入金を預金していた事実及び申告期限に全然申告しなかつたという事実を併せ考えたときは行為全体を包括的にとらえ所得全体につき不正な方法により税金を免れたものと評価するのが相当である」と結論しているが総所得の三分の一強の架空名義預金をした不正行為か、他の三分の二弱の単純不申告と何故結び付き全体を包括的にとらえるかについての理論的説明もなくそのように解すべき根拠の説示を欠き実に驚くべき論理の飛躍した独断であつて承服できない。昭和四〇年度の総所得中架空名義預金にした所得と単純不申告の所得とは明確に分離できるのであるから後者について同法第二三八条第一項を適用したことは明らかに法令の適用の誤であつて、しかも第一審において訴因変更がなかつたからこの部分は無罪とすべきである。

昭和四五年(う)第三一一号

控訴趣意書

被告人

前広敏皎こと、前広峰稔こと

久本峰稔

右の者に対する一、詐欺等二、偽証被告事件について、控訴趣意を左の通り申述べる。

一、本弁護人の控訴趣意の要旨は、原判決の事実認定は認めるが、その言渡された実刑判決に服し難く、御審において、刑の執行猶予等原判決より一層御寛大な判決を賜わりたいということである。

二、以下控訴の趣意を申述べる。

(2) 原判決は、被告人に対する量刑につき、判決本文末尾において、「なるほど同被告人は、被害弁償をなし問責にかかる所得税も完納し改悛の情の一端を示してはいるけれども、前掲の罪となるべき事実はいずれも悪質であるといわざるを得ず、殊に自己の利害のためには国家の審判権の適正な運用を阻害することもいとわないという態度は強い非難に値するものというべく、到底刑の執行を猶予することはできない。」と説示されている。

この説示は、前段は被告人により有利な面であり、后段は不利な面であつて、これを綜合考察されて、不利の面を重しとなし、実刑判決を言渡されたのである。弁護人は、原判決の右説示后段の部分については、理解し得ないのでもないが、事実を仔細に観るときは、とかく情状が見出されると考へる次第であつて、以下この点についての弁護人の所見を順次申述べ、御判断の資に供することとする。

(2) 原判決は、右の如く被告人の犯した判決摘示の五つの罪は、いずれも悪質であり、殊に偽証教唆の罪は、強い非難に値するとされている。

そもそも悪質という原判決使用の言葉は、如何なる意味内容を持つものであろうか。それは、犯罪の内容の説明として裁判の内外において、一般に用いられている言葉であるから、社会的客観的内容を持つているものと考うべきである。その客観的内容とはどんなものであろうか。思うに一般に悪質とは、比較的の意味のものであつて、軽微とか軽いなどに対するもので、犯罪の質量、酌量すべ事情の有無程度、主観的客観的事情等を綜合的に考察して、道義的法律的責任の程度が高いものを意味していると解すべきであろう。

弁護人は、悪質という言葉は、千把一律的に用いられてはならなく、各事実に即して慎重に用いられなくてはならないと考へる。

さて被告人の犯した本件五つの罪は、原判決が悪質であると一言で断ずる程、悪質のものであろうか。以下弁護人は、その一つ一つにつき仔細に検討し、そこには人間の自然の性情より見て、十分御酌量賜はり得る数々の事実のあることを明にし、しかし悪質でないことを證証し、御判断に資したい。

(3) まず、原判決摘示第一の一の(一)(二)の所得税法違反の事実について、見ることとする。これについては、次の諸事情が酌量されなければならない。第一には、この違反事実は、今日一般に摘発される所得税違反事件としては、規模は、むしろ小さい方であるということである。被告人が、昭和三六年以降未納分として納付した所得税額は、昭和四〇年迄の五年分として二四七八万余円であり、この中昭和四〇年分一三二七万余円が起訴されたのである。今日は遺憾乍脱税の風潮は、滔々として社会に流れていて、これは毎年の国税庁の発表を見ても明かである。このような事態に対する事犯処理としては、検挙摘発は、一定の規模のもの以上に限定せざるを得ないもののようである。新聞を賑はす事犯は、概ね何千万何億の巨額のものが多くこの点より見て、五年間分二四七八万余円となる被告人の違反額は、むしろ小さいものであると見得られる。所得税法違反においては、その悪質を判定する規準の第一には、矢張り違反額の多少が挙げられなければならない。五年間に亘り違反を続けた被告人の責は、消し得ないが、この違反額は、しかし多額のものではなかつたという点は、十分御酌量賜はりたい。

第二には、被告人の属した業界の納税に対する風潮である。被告人が行つて来た屑物業、衛生業等の社会においては、所得を申告しない風潮は、一般社会のそれよりも強く定着していて、被告人はこれに染つたのである。もとよりそれは正しいことではないが、事実として存在しているのである。このような中において、一人申告すべしと被告人を責めることは、誠にむづかしいことといわなければならない。こういう業界に生きて来たことが、この事犯の背景であつたのである。そこには、行政庁の指導の徹底と、一般国民の納税意識の高揚が期せられなければならない。検挙された者は、自分だけが馬鹿を見て不運だつたと慨かざるを得ない事情である。この点は深く御酌量を頂きたい。よくこのような風潮の下の犯罪に対しては、所謂一罰百戒という所罰方針が採られて来たが、一被告人の立場よりこの方針を見るときは、多くの抵抗を感んずるのである。この方針も、全体の立場より見て已むを得ない場合もあろうが、被告人側の酌量すべき事情は、全すところなく聞き届けて頂きたいものである。

第三には、被告人と前妻富江との間の財産営業関係が、明確を欠いていたということである。記録により明かの通り、財産や営業関係において、被告人と富江との間には、その帰属について争があつたのである。従つて被告人としては、申告者は自分であるか又は富江であるか疑を抱く事例が多かつたのであつて、遂申告を躊躇した面も、全然否定は出来ないことである。何んでもよい、自分が一切責任を持とうと決心し、この度の摘発を受けたのである。妻と夫との関係であるから微妙のものがあるが、富江独自のものがなかつたとは、断定し得ない事情にあつたことは、認め得られるようである。この点も御酌量賜はりたい。

第四には、違反税額は、規定に従い納付されたことである。しかも、起訴を受けない昭和二八年より昭和三六年に遡り、所轄税務所の認定通り納付したのである。この点原審も、「改悛の情の一端」としてお認め頂いたところであるが、この規模の脱税犯においては、税額が完納されれば、深い酌量を賜はりたくお願いする次第である。

以上第一より第四迄の事情を御考察賜はらば、本件所得税法違反は、簡単に悪質なりと断じ得ないものであることを御理解頂けるものと思うのである。

(4) 次ぎは、原判決摘示第一の二の詐欺の罪であるが、これは今日被告人が尤も恥ぢているところのものであつて、たしかに道義的に許し得ないものがある。事前に手続をしておけば、当然受領出来るという手続を悪用したのである。しかし、本件も金額は二三万円という比較的少額であり、被害は完全に弁償されたのである。この条件の下との事件だけを見れば、寛大な御処分を受け得ることと思はれるのである。して見れば、この事件もしかく悪質と断じ得ないではないかと考へられる。御酌量賜はりたいのである。

(5) 次ぎは、原判決摘示第一の三の銃砲刀剣類所持等取締法等違反の罪であるが、これについては、次ぎの事情を御酌量賜わりたい。これは被告人が積極的に他に暴行を加へる目的にて入手したものではなく、寧ろ消極的に岡組なる暴力団の襲撃に備へるためのものであつて、結局一回も使用せず秘匿していたのである。しかして本件については、他の事件で取調を受けているとき、自ら進んで申出でたものであつて、この点記録上明かである。すればこれは、法律上自首に当るものである。このことは十分御酌量賜はるべきことと思う。

(6) 次ぎは、原判決摘示第一の四変造私文書行使の罪であるが、ここで弁護人が主張したきことは、次ぎのことである。即ち本件変造私文書の変造者は、西原喜代美であつて、被告人は被害者の立場にあつたのである。しかるに、右西原は、何等起訴されず、被告人のみが起訴されたことには、被告人のみを狙い打ちをした不明朗のものを感ずるのである。もとより変造私文書行使の被告人の責は、免れ得ないが、これも斑石を安心させるに止るものであつて、被告人は、債務は弁償する意思もあり、その后これは弁償を了したのである。従つて、この行使には、実害というものがないとも考へられ、声を大にして悪質なりと断ずる程のものでもないともいへるのである。本件も、この事件のみなら御寛大な処置を受け得るものと判断されるのである。御酌量賜はりたい。

(7) 次ぎは、原判決摘示第一の五偽証教唆の罪であるが、これを犯すに至つた被告人の心理については、平野弁護人の申立の通りであつて、これを採用する。しかして本弁護人が原判決に対し、いささか抵抗を感ずるのは、原判決が前述の通り、この行為を特に採り上げ、強く非難に住するとされ、尤も悪質とされていると考へられる点である。弁護人は、この点は、次ぎのように見るべきではないかと考へる。いうまでもなく人は、自己の罪を軽からしめんとする願望がある。これは人間普通の自然の条理である。近代人権思想は、この自然の条理を肯定し、法律的にこれを基本的人権として保証しているのである。憲法第三八条の供述の不強要の規定は、これであり、又犯罪者が証拠を湮滅し虚偽の供述をするも罪とならないことは、この具体的の現はれである。被告人が本件行為に及んだのは、疑いなく自己の責任を軽減せしめんとする意図からである。これは、人間の自然の心情の現はれである。只人を教唆して行はしめたということにおいて、判例上犯罪とされているのである。これに対して、有力の学説が反対し、犯罪でないとしていることは、御承知の通りである。犯罪者に対する偽証教唆の罪の処罰には、このような近代法の基本的人権思想と接触して問題があるのである。なる程判例はこれを有罪としているから、適法に処罰し得るではあろうが、苟も処罰するに当つては、その基本的人権思想との接触点に深く思を致され、罪を軽からしめんとする犯罪者の心情上、無理もなかろうという位の、人間自然の条理的立場に立たれ、寛大に見て頂きたいものである。これが、真に基本的人権擁護の憲法の精神に合致する所以ではなかろうか。しかるに原判決は、前述の通り、この行為を特に採り上げ指摘しているというより見て、尤も悪質とされていると考へられる。弁護人は、この点は、右のように考へ御再考をお願いしたいのであると考へる。しかも、犯行后間もなく摘発され自白したのである。刑法第一七〇条の適用をなす御寛大さを切にお願いする次第である。

なるほどこの偽証教唆の罪は、弁解の余地の乏しいものではあるが、弁護人の申述べたところに御耳を貸し頂きますなら、相当御酌量賜はり得ると存ずる。

(8) 以上原判決摘示の五つの罪のそれぞれにつき、御酌量賜はりたき点を申述べたが、それらの諸点を含んでこの五つの罪を見るときは、このいずれおもを、原判決の如く悪質なりと断ずるには、抵抗を感ずる次第である。一つ一つの犯罪をばらばらにして個別的に見るときは、何れもが、軽いか又はそう重くない罪で、悪質と一律的に断じ得ないと考へられる。一つ一つの事件だけであつたなら、相当寛大な処分を得るであろうことは、想像に難くないところである。

ここにおいても弁護人は、次ぎの如く考へる。即ちこのように一つ一つは重大な事案ではないが、これが五つ重つた場合の責任如何ということになるのである。問題は、この一括された五つの罪には、原判決の如く実刑判決が相当か、執行猶予の恩典に浴する余地はないかあるかということとなるのである。弁護人は、その余地を見出し得ると信んずるものであつて、以下所見を申述べて御参考に供したい。

(9) 五つの併合罪を一括科刑する場合は、刑が加重されることはいうまでもない」。どの程度加重科刑するは、法律の定むるところに則り、具体的妥当に量られなければならない。

さて本件においては、この五つの罪を一括して被告人の刑責を問うについて、次ぎの諸点を考ふることが必要である。一つは、この五つの罪と被告人の性格との関係であり、二つは、今日における被告人の自戒的心情であり、三つは、将来に対する被告人の人生計画である。その中にはもちろん贖罪的活動も含まれている。以下この三点につき申述べる。

(10) この五つの罪と被告人の性格との関係をどう見るか。

この五つの罪は、いずれも罪種を異にして関連性がないが指摘出来ることは、いずれもが、被告人の事業と直接又は間接の関連において行はれていることである。即ちこれらの犯罪は、被告人の事業に関連して起きたものである。脱税犯は、その最たるものであり、その他それに随伴して起きたものである。そこで問題となるのは事業家としての被告人である。

被告人は絶倫の精力を有し、極めて活動的であり、その志向は、現実的実利的である。即ち被告人は、本質的に事業家たる性格を有するのである。実際を見るに、終戦除隊后被告人は、まず屑物業を始め、これより衛生業へと進み、 当の規模の事業を築き上げたのである。それより飲食店業、貸ビル業、パチンコ業へと進み、現在は百余名の従業員を擁し、パチンコ業界にては市内七〇余人の同業者中第一位に立つに至つたのである。かく被告人は、人間社会の最底辺より独力によりのし上り、今日を築いたのである。この間被告人は、日本的に有名な広島暴力団とは、徹底的に抗争し、自己の事業を守つて来たのである。挙銃等の不法処持は、かくして生れて来たのである。被告人が暴力団の仲間入りをせず、これと抗争しても事業を守つて来たことは、人間として相等評価すべきものと考へる。

ここで気附くことは、被告人が出発した屑物業、衛生業等は、各種業種の中でも、特に粗野粗暴であり、納税意識、遵法意識の薄いことである。被告人は、この中に生き、その色に染つたのである。これが、本件五つの犯罪の生れた主体的要因である。従つてそれは、ある意味において当然の結果であつたかもしれない。

(11) 次ぎは、被告人の今日の自戒的心情如何ということである。被告人は、この度の検挙裁判を、自己の今日迄の生活態度の総決算として、受け止めている。前述の通り、今日迄の被告人の生活態度によれば、この検挙裁判は当然の結果であるというべきであろう。被告人は、それはそれとして、真正面より受け止め、立派な企業家、責任ある事業家として新しい道を歩むことを決意したのである。百余人の職員を擁する事業に責任を負うものである。好むと好まざるとを問はず被告人には、この社会的責任が、今や自ら覆いかぶさつて来ているのであつて、一挙手一倒見責任ある行動をとらざるを得ない境地に立たされているのである。被告人は、今や責任を持つ企業家として、この任務を果そうと決意しているのである。

例えば経理は凡て硝子張りとし、組織的責任体制を整備する等して、失敗を繰返さないことを誓つているのである。

こう見て見ると、被告人の今日の心境を以てすれば、本件の如き犯罪を再び繰返すことは、殆んど考へられないと判断されるのである。即ち今日迄の検挙裁判は、被告人の更生に十分の効果を発揮したということが出来るのである。

(12) 次ぎは、被告人の贖罪を含めての今后の人生計画であるが、被告人はこの点を次ぎのように考へている。即ち被告人は、現在の企業を整備発展させ、それより上る利益は、老人福祉事業に投入し、社会に寄与したいということである。これは、被告人の贖罪の心の現はれでもある。

なおここで一言触れなければならないのは、被告人の仏心についてである。記録で明かな通り、現在被告人は、法樹寺の住職である。当初弁護人は、被告人より弁護の依頼を受けたとき、パチンコ業と僧侶と余りにかけ離れた職業が、一人の人間の中に共存しているのに、驚きもし、かつ疑つたのである。仏の名をかたるものでないかと。しかし実際に被告人に接し、その仏教に関係の深い生立ちや心境を知り、仏心も又被告人の一面であることを知つたのである。被告人の性格は、普通人より復雑である。しかして今后は、被告人の中の仏心は、この度の検挙裁判を転機として、愈その指導性と影響力を拡大して行くであろうことは、疑ないところである。この点被告人の今后の事業経営を見る上において、重視しなければならないとこである。被告人は、人間として常に成長して行く人である。今后仏心の指導の下、責任ある企業家、社会のために尽す人として、成長して行くものと思料される。

三、結語

以上本件につき御酌量賜はりたい数々の点を申述べました。もとより意を尽すことを得ませんが、何卒願くは、これを最大限に御酌量賜はり、再生し責任ある企業家として新しい道を歩み始めた被告人に対し、冒頭弁護人がお願した御寛大な判決を賜はりますようお願い申上げます。被告人は、裁判所の温情に感激し、誓つて御期待に応へるものと信ずる次第であります。

昭和四六年一月五日

弁護人 関之

広島高等裁判所

第四部 御中

昭和四五年(う)第三一一号

控訴趣意補充書

訴欺等 被告人 久本峰稔

右事件に対し、先に控訴趣意書を提出したが、弁護人平野利の趣意書第一の四(原判決判示第一の四)、弁護人関之の趣意書(6)(原判決摘示第一の四)に関して左記の通り趣意を補充する。

昭和四六年十一月二〇日

弁護人 平野利

同 関之

広島高等裁判所

第四部 御中

右各控訴趣意書において指摘した通り、この変造有印私文書行使の捜査の経過を検討すると、捜査官は、当初被告人が私文書変造の本犯であるとの予断を以て逮捕拘留し、厳重追及したが、身に覚えない被告人は、強く抗争し、接見禁止の取扱を受けたけれども、結局、変造の犯人は、西原喜代美であることが明白となつた。然るに捜査官は、右西原を逮捕することもなく取調べたのみで、起訴もしなく、被告人のみを狙い、変造私文書行使罪の責任を追及するに至つたのである。

被告人が、右の変造私文書(変造定期預金証書)を債権者斑石猛に交付した事情は、既に右趣意書において主張した通り、西原の支払を督促する方便として、右証書を封筒に厳封して預けたのである。当時の被告人の心境は、西原が数日中に参百万円を持参することを信じ、之を斑石の支払に充当する考であつたが、西原の持参が再三延引するので、自ら所持するよりも第三者に所持させた方が、西原の返済を促す所以と思つて、斑石に定期預金証書を預けたのであり、その事は、取調べ中及原審公判においても被告人の主張して来たところである。しかして被告人は、この頃に至り斑石よりその時受取つた「念書」を見れば、原判決認定の如き「右工事代金の支払いの担保として交付し」たものでないことが、明白になる旨を強調するので、弁護人にて調査すると、この念書につき、次の如き事実が明らかとなつた。本件捜査官の当時広島西警察署勤務の巡査部長見川茂は、昭和四一年八月二十三日被告人方を捜索して被告人の妻久本生太子より押収した証拠品中の「念書」は、検察庁に送付することなく、同年十一月一日被告人又は同人妻より、何等委任を受けたことのない尾田誠なる者に還付した旨の形式の書類を作成して処理し、現在右「念書」の所在は、不明である。そして見川作成調書には「念書」なる言葉を避け、「預り証」としている。この事実は、最近に(控訴趣意書提出以後)被告人が「念書」のことを偶然に記憶より甦らせ、弁護人等が調査した結果判明したものである。弁護人は、捜査官見川茂の念書についての右の処置については、刑法第一〇四条の証憑湮滅罪の疑を持たざるを得ないのである。

この念書は、変造私文書行使罪の犯罪成否に関する重大な関係ある証拠であつて、仮に行使罪が形式上成立するとしても、情状に大きく影響するものであると思料される。

このように右「念書」の内容によつては、変造私文書行使罪の犯罪成立を阻却する場合もあるので、無罪の主張を趣意書中に明確に記載していないけれども、刑事訴訟法第三九二条第二項により職権調査せられることを熱望する次第である。

昭和四五年(う)第三一一号

控訴趣意書

偽証 被告人 笹木義徳

右の者に対する頭書被告事件についてなした控訴の趣旨は左記のとおりであります。

原判決はその認定した被告人の偽証事実につき懲役四月の実刑に処する言渡をなしたが次の理由により刑の量定は不当であつて執行猶予の恩典に浴せしむべきである。

一、被告人は最後の刑を終え昭和四一年一月より相被告人久本峰稔に傭われその秘書役をなすものであつて、月給も一〇万円から一五万円を支給されていた。しかも被告人には特に財産なく、妻子もおり、学歴は高等小学校卒業程度である。

このような犯歴、学歴、家族よりみれば右の月給は比較的高給であつて雇主に対してはその言に絶対に服従すべき立場にあることは当然であり従つて生活も安定すると言うものである。

本件は原判決理由記載の如く「被告人久本からの教唆を受けた結果」なされたものであつて、そのこと自体は国家の審判権の適正な運用を阻害することは勿論であるが、一面弱者である被告人の心境を十分酌むべき案件と思料する。

二、被告人は昭和四三年三月二二日の広島地方裁判所の法廷において偽証したものであるが昭和四四年一二月二三日の第二六回公判において起訴事実を認め明らかに自白している。

とすれば被告人は証言したる事件の裁判確定前自白したことゝなり刑法第一七〇条によりその刑を減刑又は免除されることが妥当であつて、少くとも執行猶予を附すべき事案と信ずる。

昭和四六年二月八日

右弁護人 伊藤仁

広島高等裁判所

第四部 御中

昭和四五年(う)第三一一号

控訴趣意書

偽証 被告人 笹木義徳

頭書被告事件についての控訴趣意は左記の通りである。

昭和四六年一月四日

弁護人 平野利

広島高等裁判所

判事第四部 御中

原判決は刑の量定が不当である。

原判決は被告人に対して懲役四月の実刑を科し執行猶予の恩典を附けなかつた。

偽証罪は国家の審判権の適正な運用を阻害する点において犯罪自体が悪質であり、又被告人には前科もあるので此等の理由によつて原判決は実刑を科したものと推察される。

然し乍ら本件の偽証には特殊の事情があり、その内容の一部には真実がある。即ち相被告人久本峰稔は被告人の母笹本アキコを中間機関として街の金融業者某から二回に互り合計二千五百万円を借用したことは事実であり、又その借用証書も真正のものである。唯金融業者某が証人として出廷することを拒んだ事情があつた為めに止むなく被告人に頼んで一部虚構の証言をさせたのである。この虚偽の証言があつても相被告人の二千五百万円の債務の存在という正当の主張を裏付けるものであつて、国家の審判権の適正運用を阻害する行為とは申されない。

又一面相被告人久本の使用人の立場にある被告人としては主人の依頼を無下に拒否できない事情も参酌すべきである。

免も角或る部分は虚構の供述であつて偽証罪は成立するが、刑法第一七〇条によれば証言した事件の裁判確定前に自白したときは其の刑を減軽又は免除することを得るとあるから量刑上考慮しなければならない。

被告人には前科があるけれども昭和四十年十月十七日刑の執行を終了し、現在は五年を経過している。

叙上諸般の情状を綜合して被告人に対し執行猶予の恩典を附与することが妥当の判決であると思料する。

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